東作について

江戸っ子の釣り暦といえば、春の鮒(フナ)釣りに始まり、八十八夜の青鱚(アオギス)、初夏の鮎(アユ)、黒鯛(クロダイ)、秋の鯊(ハゼ)、鯔(ボラ)と巡って、寒のタナゴで締めくくったものでした。その他にもいろいろ狙いものがあり、その組み合わせは人それぞれです。もちろん、ひとつの釣りしかやらないって人もいますが、季節ごとにいろんな釣りを楽しむというのが一般的でした。そうなると、その釣り種目にいちばん適した竿が欲しくなり、加えて好みの調子だとか釣り味といったようなレベルの高い遊び心を求めていくもの。釣りの種類だけこだわりがあり、こだわりの数だけ夢があった。そんな釣り人のこだわりを満たし、江戸の釣り文化を牽引したのが「泰地屋東作」、通称「東作」であり、江戸和竿の起源とも言われています。

天明3年(1783年)、紀州徳川家の藩士であった松本東作が武士の身分を捨てて、下谷稲荷町の広徳寺門前(現在、東京都台東区東上野3丁目)に釣り竿屋を開業したのが始まりです。屋号は妻の父、泰地屋三郎兵衛の姓をとり「泰地屋東作」(たいちやとうさく)とし、本名を「松本三郎兵衛」と改めました。
以来、六代目東作・松本三郎に至るまで、江戸和竿の伝統を守り続けております。